「じかんが、ない」について 〜言葉・絵・動画で表しきれない理由について〜

illy(イリィ)

さいきん、不思議なネタをブログで書いてないので、
今日はひとつ、「じかんが、ない」について書いておこうと思います。

(イリィ注:このブログには、
「じかんが、ない」がどのような感覚であるかについては書かれていません。
ただ、それが表せない理由のようなものについては書かれています)

それをいつ味わったか

アネモネ

それを味わったのは、
昨夜1月24日(日)に、
瞑想をしてたときでした。

瞑想は普段からやってるわけではないのですが、
昨夜はたまたま、というか、
具体的に身体を動かしてやることが思いつかず、
そのままでいたら瞑想になっちゃった、というかんじでした。

少ししてから思い立ってTwitterに、
瞑想を始める旨をツイートし、
いっしょに瞑想したらどんなかな?と思い、
メンバー(?)のゆる募もしました。

それを自覚したのはいつか

「時間が、ない」のなったのは、その後。
自覚したのが瞑想後だったですが、
その感覚?在りよう?がいつからあったかはわからないのですが。

で、このツイートをひねりだしました。

ひねりだした、と書いたのは、
表現することはできないから。
言葉であっても、絵であっても、動画であっても。

味わっているものと、表現というものとに、
結びつくことのない感、合致しない感があって、
でもなにか出したい衝動はあって。
で、気持ち悪さと折り合わせて、
先のツイートをなんとかいたしたわけでした。

言葉・絵・動画で表現できない領域について

アネモネ

ひとつーとか、ワンネスーとか、悟りーとか、
いろいろな言葉の表現が存在していても、
それが表そうとしているものは、決して表し切ることはできません。
言語は主体があり、主体の味わい、感じたことに則り、
発せられるものですが、
主体自体が絶対でないので、主体が変われば言葉は無意味になってしまう。
また、主体は時間に制約を受けているので、
主体がアウトプットするも、時間の影響を受けてしまう。
つまり、あるときにあるものを表現しようと発せられたある言葉が、
異なる時には、表現しようとしたもの自体が曖昧になっている。
もしくはまったく補足しないものになっている、ということが
起きるわけです。

まとめと所感

感覚は面白いです。
感覚というのにも実際のそれとはちがいがあるのですが、
味わいというのは、おもしろいなあと感じます。

いろんな人のいろんな動画を見ていると、
上手に話してはるなあ、こういう風に話せたらなあと感じますが、
わたしにはわたしの話し方、あるいは話し方に変わるなにかがあるのでしょう。

さいきんはセッションルームに引きこもり、職人的に徹していましたが、
人と話してみたいなと思うようになりました、そういう話を。

だからそういう機会があればいいなと思っています。

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