なぜ心から休むことができないのか? 〜「認識=真実=絶対」という思い込み〜

illy(イリィ)

ねこ
まいにちを過ごしている中で、
わたしたちは、さまざまな認識にしばられているなあとかんじます。

たとえば、
昨日は店休日だったので、
イリィは1日中、涼しい部屋で、
映画を見て過ごしました。

が、その後のきぶんがどうもよろしくない。

映画を見ながら、それに没頭する努力をしていた気がする。

なにかをがんばって抑圧しながら、
この時間をよきこととしてたのしもうと、
がんばっている気がしたのです。

今朝、それはなんでなんだろう?と、
ぼうっと思っていると、
「働かざるもの、食うべからず」
という文言が浮かんできました。

なるほど、
このキャッチフレーズが真実=絶対だという認識があれば、
そりゃ部屋でだらだら映画を見ていて、
なんらかの不快な感覚がむくむく起こりそうになっても
さもありなん、というかんじですね。

わたしたちは、働かない日がありますね。
お休みの日は、好きなことをして、
そのあとご飯を食べますね。

でも、お休みの日でも、
「なにかをしなきゃ!」
というきぶんで過ごしているかたもいはるかもしれないと思うのですが、
そのかたはもしかしたら、
「働かざるもの、食うべからず」=真実=絶対
だと、
無意識に信じ込んでいるのかもしれませんね。

わたしたちは、はたらかなくても食べてOKです。
むしろ、そうしないと、はたらけません。
効率よくはたらくには、はたらかない時間が必要です。
そしてその時間は、はたらかなければはたらかないほど、
はたらく時間のクオリティが上がると考えます。

これもまた、
あくまで、イリィの個人的な認識です。
なので、これを読んだ方が、
どのような認識をもって過ごすかは自由です。

ただ認識は、真実でも絶対でもない、ということが、
伝わったらいいな、と思います。

なにかをしているときに苦しさを感じるときは、
苦しさを浮上させないようにがんばっているじぶんに気づいたら、
その大前提に、どんな認識があるのかを探ってみることが、
「ほんとうにラク」
にすごすことの一助になるかもしれません。

こつは、
「こんなとんでもない認識をもっているじぶん」も受け入れ、
赦してしまうことです(^ω^)

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