感情を受入れることが生活をたのしめるようになるカギをにぎっている 〜なぜ怒りや悲しみにふりまわされてしまうのか?〜

illy(イリィ)

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感情は受入れてもらえないことで暴走します。
あなたが
「わたしはこんなことに対して怒っている」
「こんなかなしみを抱いている」
という想いをじぶんが抱いていることを否定しないこと
=そう思っていることを認めることで感情は昇華し、
感情に振り回されている状態からぬけだすことができます。

じぶんが抱いている、
特にネガティブな感情を認めることや、
受入れることがむずかしく感じられるのは、
自我(エゴ)が、
「そんなことを認めたら、人に嫌われる」
などという思考をつかって、
社会的立ち位置が低められるのをふせごうとするためです。

しかし思考は思考。ほんとうのことではありません。
そして、思考はすべて過去に基づくもので、未知の領域に触れることはできません。
さらに言えば、過去、未来といったものもほんとうのことではありません。
いまここだけがあり、過去、未来は、単なる
「そういう考え」です。

感情を認めること、受入れることを阻害する要因には、
「○○はいけないこと」などのジャッジメントもあげられます。
たとえば「泣いてはいけない」というジャッジメントが効果を発揮しているとき、
悲しみをかんじていることに当人が気付いていないということが起こることもあります。

ちなみに、感情は1つのものですので、
悲しみをかんじなくする(なる)と、怒りも喜びも楽しさも同様にかんじにくくなります。
ジャッジメントや、自我(エゴ)がうみだす思考を採用し続けていくと、
じぶんの感情がわからなくなっていきます。
スピーカーの音量を下げていくようなかんじです。

だから、感情を受入れること、認めることが、
生活をたのしむ上でのカギをにぎっているわけです。

怒りや悲しみを受入れられないとき、
じぶんがそうかんじていることを否定しているとき、
あなたと感情のあいだには恐れや不安が存在し、
あなたの目はまずそれらをとらえます。
しかし、恐れや不安を生み出している思考がどんなものかを見ぬくと、
恐れや不安は対処可能なものと捉えられるようになります。

怒りや悲しみを受入れることを阻害するべく、
自己(エゴ)が生み出した思考から発生する不安や恐れという図式。
この「自己(エゴ)が生み出した思考」は、
おどろくほど小さな自分のこだわりだったりします。
わかってしまえば、「な〜んだ!こんなことで!」となるほどの。

ではなぜ「おどろくほど小さな自分のこだわり」が
大きな効力をもたらし(続けてい)たのかというと、
これもまた自我(エゴ)にとって
「それを認める=じぶんをおとしめる行為」
ととられるようなものだったりするためです。
「他人に嫌われないように」「プライドを守らねば」と奮起させるような。

なので一言で言えば、
じぶんのかっこわるいところ、はずかしいところを認めてしまえ〜!
ということです。
お金が欲しくてもいいじゃない。
かっこいい、かわいいと思われたくてもいいじゃない。
人に好かれたい、いい人と思われたいと思ってもいいじゃない。
嫉妬や恨みの感情をもっていてもいいじゃない。

そんなじぶんのかっこわるさを受入れた人が、
「『わたしは人にいい人と思われたがっているんだよね』と言えるなんてすごいね」
と人にリスペクトされるようになったりね。
同じ部分を認められていない人は、
そこを刺激されて大きな反応を返してくるかもしれないけど、
その後どうするかはあなた次第( ´ω`)

(2015.4.12のTwitterより転載)

Session では、感情解放のサポート、
自我(エゴ)と思考についてのお話も行なっています。

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