瞑想ってなあに?

illy(イリィ)

瞑想とは、
「からっぽになる行為」のひとつだと思っています。

からっぽとは、
思考も、感情もない状態。
どちらも浮かんできたり、感じたりできる状態ではあるんですが、
それらをただ、そのままにしていられる状態であり、
そうしているじぶんの有様を、瞑想状態とイリィは呼んでいます。
a1380_001325

瞑想状態になると、前述の通り、
思考や感情をそのままにしていられます。
つまり、思考や感情に振り回されない状態です。
思考や感情は、
すこしはなれたところにあるようにかんじられ、
それらを「ふ〜ん」「へ〜」と眺めていられます。
まるでひとごとのように。

そこには、ただ静けさがあります。
穏やかさ、安心のような感覚も感じられます。

でもそうかんじているのが正解だということではありません。
正解を求めないでください。
「これは正しく瞑想できているんだろうか?」
と比較しないでください。
人と異なる状態・感覚があっても当然なのです。

しかし、そうはいっても、
答えあわせがしたくなったり、
どうにもその欲求が押さえられなくなったりすることもありますね。
いろんな話題が頭をよぎることもあるでしょう。

思考がうかんで、OKです。
感情があらわれて、OKです。
それらを野放しにしていてOKです。

むしろ、それらを抑圧したり、
コントロールしようとしたりすることは、
対象に力を与えてしまいます。
(「〜してしまいます」と書いていますが、
その行為は悪いことだと言っているのではないですよ。
理にかなっていないというだけです)

内観をやっている方は、
ご自身の体験を通じてお分かりだと思いますが、
じぶんをひらいて、それに降参すると、
それは消えます。

a1380_001331

思考でも、感情でも、
それにこころをひらき、
それが「在る」ということを認めて、
降参してしまうと、
それは、それを見ているじぶんに吸い込まれるように、
砂浜の砂山がさらさらと崩れるように一体化します。
そうして、じぶんは、
その思考、感情が気にならなくなります。

つまり、あたまとこころ、
じぶんのなかをからっぽにしておけるわけです。

瞑想はなんのためにあるんだろう?と考えてみました。
覚醒のためと考える人もいると思います。

たしかに瞑想をして、
じぶんのなかをからっぽにすると、
すべてのものと分離していないじぶんに気付きやすくなります。

個という在り方を超越した
(と表現すると、なにか得体の知れない、
巨大で、計り知れないもののように感じられるかもしれませんが、
それはある意味あたっていますし、
ごく平凡なものでもあります)
すべてという意識の状態で「在る」のに気付くと、
他人の評価を気にしたり、
どう見られるかを不安に思ったり、恐れたりすることも
なくなっていきます。
(すぐに消える場合もありますし、徐々にの場合もあります。
個の意識を超えた意識に気付く前でも、
内観で葛藤や観念を昇華させることで、
そうなる場合もあります)

瞑想は必ずしなければならないことではありません。
他のすべてのことと同じように。
したい人はやればいいし、したくなければする必要はありません。

でもここまで読んでこられて、
瞑想状態を体験してみたいな、と感じられたり、
「他人や、思考や、感情に振り回されないようになりたーいっ!」
と思われた方は、
やってみることをおすすめします(^^)

今週末に開催する「ゆる瞑想会」では、
さまざまな印を使って、
いろんな瞑想状態を体験します。

みんなで瞑想をすることで、
波動が共鳴・共振します。
さらに春分+日食というタイミングなので、
きっとおもしろい体験ができるんじゃないかなあと思います(^^)

共振・共鳴するみなさまと
お会いできるのをたのしみにしています☆

□詳細・お申し込みはこちら↓
>> 3月21日(土・春分の日)ゆる瞑想会&お茶会 in 大阪谷町六丁目セッションルーム

s_a0990_001261_m

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。