質問「わたしは○○を、どうとらえている?」 〜観念をとかし、じぶんに自由と安らぎをあたえる〜

illy(イリィ)

行動や、思考に不自由さや、
うまくいかないとかんじるとき、
「わたしは○○を、どうとらえている?」
と、じぶんに問いかけてみる。

たとえば、
お金をかせぐことがうまくいかないとき。

「わたしはお金をかせぐことを、どうとらえている?」

と問いかけてみる。

そしてその問いかけ自体を、ひらいたこころで受入れてみる。

すると、ビジョン(映像)が見えたり、
なんらかのセリフや、言葉がうかんできたりすることがある。

先のようなビジョン(映像)が見えたときは、
そのようすを、言葉で表してみる。

  • どんなビジョン?
    …小さな男の子が、力なくうつむき、地面にしゃがんでいる。
  • どんなふんいき?
    …路地裏、すみっこ、行き止まりみたいなかんじ、電気がついていない部屋のような
  • どんな感情?
    …なにも浮かばない、虚無、地に落ちたというかんじ、ほぼ無感情、さびしさとあきらめ
  • etc…

というふうに。

この過程で、
じぶんがお金をかせぐことをどうとらえていたかが、
なんとなくつかめると思います。

この場合は、
「お金をかせぐこと=お金がない、貧困状態、希望がない、身寄りがない」
というかんじでしょうか。

人物や生き物が見えたとき、
それは「○○」に相対しているじぶんです。
じぶんが「○○」をどうとらえているか、
「○○」に対して、じぶんがどうあることをふさわしいと
潜在意識下でかんじているか、です。

そのイメージのなかに、
観察しているじぶんを送り込みます。
おおきくて、あたたかで、
愛とやすらぎの象徴としてのじぶんです。

そして、
ビジョンのなかの人や生き物を、やさしく抱きしめます。
なにも言わずに、
大きなやわらかいおふとんになったつもりで、
あたたかくつつみこんであげます。

ただ、抱きしめていてあげます。

そうすると、
人や生き物のようすが変わったり、
ムードが変化してきます。
ずーっとだきしめていると、あるときにふわりとかわるとき、
グラデーション状にかわるときもあるかもしれません。
どんなケースもありえます。

お金をかせぎたい!と思うこと、
あるいは、そう思うときは、
お金がないときだ! 貧困状態にあるときだ!
希望がない状態だ! 身寄りがないような孤独な状態だ!
なんて観念(思考の公式)がじぶんにあったら、
そりゃお金をかせぐことがうまくいかないですよね。

だって、お金をかせぎたい!と思ったら、
そう思った瞬間から、
孤独で希望のない貧困状態に身を置くことになるのだから。

でも、そういう観念や、
そうとらえていた自分自身を、
こころをひらいて受入れてあげると、
それは溶けて、ニュートラルな状態にもどり、
じぶんと一体化します。
筋肉のこりがとれて、他のぶぶんとなじむようなかんじ。
全体になじんで、本来のはたらきを支えるようになります。

だから、
どんな観念があったとしても、きらわないで。
どんな観念をもっていたじぶんであっても、
「そう思っていたんだね」
と認めて、うけいれてあげて。

観念は、わるいものでも、いいものでもなく、
ただ、あるもの。

そうして、じぶんを受入れることを繰り返すと、
どんどん、じぶんを正直にとらえられるようになっていきます。
「わたしはこう思っているんだね」
「じぶんは、こうかんじているんだね」
と、自分のかんじているものを、
そのまま受け止めてあげられるようになります。

「こうすることを、たのしいとかんじる」
「これについては、やだなと思う」
そういうもの、ひとつひとつが、
「わたし」を創り上げていますね。

そしてそれは、ひとつの方位磁針にもなりえます。
すべての観念がとけてまざって、
「わたし」と一体に還って、
「すべてがアイ」になるそのときまで。

「わたし」にやさしくできるのは、「わたし」だけ。
「わたし」を体験で知ることができるのも、「わたし」だけ。

「わたし」にとって、うれしい毎日をおくりたいですね(^^)

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